錦眼鏡余話6:No236
追悼スライドショー 

ミーヤが死んで、早いもので5ヵ月以上が経ちました。
なくなってみると、
ミーヤは
21年と1ヵ月、わが家族の大切な一員だったことが分かりました。
二人の娘が家を出たあと、私達夫婦とともに長く生活を共にしてきました。
 

大変穏やかな猫でした。
何をされても、怒らないミーヤでした。
いつも静かにおとなしく暮らしていました。
 

ミーヤは、危機的な状態を数回経験しました。
もうだめかと、諦めたこともありました。
その都度、じっと耐えて:ただひたすら寝て:
危機的状態を克服して、復活をとげ元気になりました。
 

ミーヤがいなくなった今でも、時々食事中にミーヤの話が出ます。
ミーヤの話が出ると、私たち夫婦は目を潤ませてしまいます。
 

ミーヤの追悼スライドショーを作成しました。
正月明けに、下の娘が来たので、
USBに入れて持たせました。
ミーヤは、下の娘が大学1年のとき、構内
で拾ってきたと聞きました。
ジローミーヤは、兄妹の関係でした。
 

美味しいものがあると、ジローはさっさと自分の分を食べると、
ミーヤのものまで食べてしまいました。
ミーヤは、お兄ちゃんのジローがくると譲ってしまいました。
 

ミーヤがいなくなって、私たちの魚の食べ方が変わりました。
ミーヤがいたときは、
ミーヤの好きな味付けをしました。
ぶりの切り身なら、照り焼き?です。
鶏の肉なら、皮を付きを買ってきます。
皮をかば焼き風にします。
 

イワシの缶詰は、イワシのかば焼き風を買いました。
サバの缶詰は、水煮を買いました。
マグロの缶詰は、マグロのフレークを買いました。
どれも、ミーヤのためです。
 

ウナギやシシャモは、ミーヤのために買うようなものでした。
ミーヤはとりわけウナギのかば焼きが大好きでした。
これでミーヤもダメかなと思った時がありました。
この世の最後にウナギを食べさせてやろうと思い、
ウナギを買ってきて、食べさせたら。。。ミーヤは
元気になったのです。
 

ミーヤの写真を集めて、「追悼スライドショー」をつくることにしました。
35枚ほどの写真を、適当ですが我が家に来たときから順に並べました。
そんなミーヤの姿で、私の気に入っている画像があります。
3枚だけ選びました。

 


 
ジローのときもそうでしたが、
妻は「追悼スライドショー」を見ようとはしません。
私が単身赴任で長く家を留守にしたとき、
妻はミーヤに癒されてきたらしいです。
悲しくなるからでしょうか。
 
単身赴任から戻ってきたら、妻が何か言ったので、
「何?」なんて行くと、ミーヤに話しかけている妻でした。
ミーヤは妻にとって、
留守を守っている間、かけがえのない家族の一員だったのです。
 

最近、ミーヤのいない生活が当たり前になりつつあります。
 

それとともに、我々も老い支度をはじめることを考えています。