錦眼鏡余話6:No225
安心ノート:その3 
 
まずAの「告知・終末医療について」は、
食事のあとなど、妻と話し合うことがあります。
 

治らない病気にかかったら、
痛みを取り除いてくれたら、
そのまま静かにしておいて欲しいことを確認し合いました。
医学の進歩で、癌なども不治の病ではなくなりつつあります。
どの時点で、不治の病とするのかは、
専門家:担当医の判断にゆだねることになりそうです。
 

また、
終末医療(特に延命治療:例として「胃ろう」など)は、
妻との話し合いの結果、
ふたりともやって欲しくないということになりました。
他にどんな終末医療があるのか調べる必要があります。
終末医療はお断りだと言えば、
医師のほうで判断してくれるでしょう。
 

植物人間として生きたくないのが二人の結論です。
人間としての尊厳を守るために。。。
 

告知は伝えてもらいたいです。
残りの人生を教えてもらったら、
余命が短い長いにかかわらず、
残りの人生を有意義に生きたいと思うからです。
多少誤差があっても、
自分の人生を振り返る時間になりそうです。
 

@「看護・介護について」ですが、
妻とは、
看護や介護を受けずに過ごす時(健康寿命と呼ぶ)を、
出来るだけ長くしたいことを話し合っています。
そのためには、日ごろの生活や食生活を大切にしています。
 

また、惚けないために何をすべきか、
リスクを減らすために成人病にならないように気をつけています。
囲碁サークルに入ったのも、妻に勧められて入りました。
囲碁をやっていると、惚けないことにつながるのかは分かりません。
 

Bの「葬式について」ですが、
出来るだけ簡単にすませることを考えています。
ともだちや知人への
連絡は、
年賀状を出している人達やサークルの代表に
喪中のハガキで
すませるつもりです。
 

随分昔のことですが、父親がなくなった折り、
子どもたちだけで葬式をしました。
父親の山形県の親戚へ連絡をしないで葬儀をすませました。
 

11月下旬、山形県の親戚へは喪中のハガキで連絡しました。
しばらくして、親戚から電話がありました。
30分以上にわたり、抗議の電話を頂き、
 
ただただ謝った記憶が残っています。
サクランボやリンゴ、洋ナシなどを送って頂いた親戚で、
心温まるお爺さんでした。
親父が若いころ、
山形の親戚の苦境を助けたことがあったと
言うことでした。
 

私の兄姉弟は皆、日帰りのできるところに住んでいますが、
全員、70歳を超えています。
長兄に至っては、80歳を超えています。
いまだに、大田区や川崎市の歴史を研究しています。
机に向かって、仕事をするため、
かなり腰も曲がり、歩くことも大変になってきたようです。
約1時間半をかけて、日帰りは大変だろうと思います。
 
かなり昔のことですが、
「天声人語」に京都大学の名誉教授だった人が
亡くなるとき
「死者は盛者を煩わすことなかれ」と言ったということが
取り上げられていました。
盛者(生きている人達)は、いろいろと忙しいのだから、
死んでしまった人のことで、時間を費やす必要はないと
言ったということです。
私も賛成です。
 

Cの「お墓について」は、妻も私もお墓に入りたくないと書くつもりです。
今のところ、二人とも樹木葬にしたいと思っています。
樹木葬がいっぱいなら、散骨でもかまいません。
 

Dの「遺言・相続について」は、
夫婦のどちらかが先に逝く場合が普通なので、
残った方にすべてがいくように自筆で書くようにしたいです。
遺言状は、パソコンなどで打ったものはダメで、自筆でないと効力がないそうです。
 

そのあとのことは、二人の娘に委ねることになるでしょう。
死んでしまえば、分からないのですから。。。
 

そろそろ、幾つかのことを具体的に動き出すときが来たようです。
 

「安心ノート:完」