錦眼鏡余話6:No222
ミニマリスト  
 
最近、メール通信の間隔が空くようになりました。
 

何となく、追われた生活をしているなと感じています。
これでは、いけないと思い行動を起こすことにしました。
 

メール通信◇錦眼鏡余話◇
6ー222
 

◇ミニマリスト
 

最近、新聞などで物を持たない若者が増えていると
いう
記事を目にします。
12月暮れの朝刊に
「持たない生き方」という記事があったので引用します。
 

『空っぽの部屋。でも生活するにはそれで充分。
そんな人たちが出てきた。名付けて「ミニマリスト」。
今年の新語・流行語大賞の候補にもなった。
今、何が彼らをそうさせるのか。』
 


今から33年ほど前、私は3年間の海外勤務をしたことがあります。
任地はマレーシアのペナンでした。
家族での赴任が条件でした。
 

赴任するとき、出来るだけ荷物を減らすことを考えました。
海外まで持って行く必要のないものは、
トンランクルームに預けました。
飛行機と一緒に持って行くものは、
家族全員が、
自分のスーツケース1個と、ブリキ製の衣装箱1個です。
 

小学5年生になる下の娘は、からだが小さかったので、
小さなスーツケースと衣装箱1個でした。
衣装箱は家族全員同じ大きさのものでした。
 

衣装箱やスーツケースの中に何を入れるかは自分の自由でした。
私は短い釣り竿(延ばすと4メートルぐらいになった海用の竿)や
碁石、薄い碁盤、、笛、ハーモニカなどの遊び道具も入れました。
 

ペナンの家は、コンクリート製の2階建てでした。
妻と一緒のマスタールームは、
ダブルベッド1つに、その両脇にある小机2つ。
広々としたトイレ横には、椅子と「引出し付の机」がありました。
引出しは、壁に付いていました。
引出しの上の壁には、大きな鏡がはめ込まれていました。
あとは、何もありません。
壁一面がクローゼットでした。
衣類は、天井までの大きなクローゼットにしまいました。
 

マスタールームは、最後までそれ以外のものは増えませんでした。
娘たちの部屋も、物が増えませんでした。
見事にシンプルでした。
 

階下へ降りると、応接室セットとゴムの木が植えられた鉢があるだけ。
ここも見事にシンプルでした。
応接室で
3年間に増えたものと言えば、娘たちに買ってあげた
ピアノだけ。
 


今の自分の生活を見ると、物に埋まって生活している感じがします。
クローゼットの中は洋服で一杯です。
それも、みんな着ているわけではありません。
洋服ダンスの中には、
仕事で着た背広などがまだ捨てずにあります。
ちょっとした物入れの中も、物であふれています。
 

70歳を過ぎて、
いらないもの、使わないものを整理したいと考えるようになりました。
粗大ごみとして出すには、もったいない物もあります。
 

その1つに額縁があります。
5月に市の福祉バザーがあります。
連絡すると、
社協の職員が
見に来るそうです。
そして、これは売れそうだと思った物は運んで行ってくれます。
 

押し入れやクローゼットの中を見ただけで、大小10枚ほどあります。
どれも、アルミ製のしっかりしたものです。
額縁がなくなると、クローゼットの上が空になり
ます。
 


ミニマリストを自称(?)するNさんは、以下のように述べています。
「身の回りの物を最小限にする。物のない空間を楽しむ。
物事を最小限の視点で考える。
それがミニマリスト、最小限主義者です。
簡単に言えば【最小限が好きな人】ということです。」
 

彼に言わせると、
「昔から日本にはミニマル(最小限)な生き方に幸福を感じる人たちがいます。
禅がそうですし、短歌や俳句もそうです。。。。。
【わび・さび】の東山文化が生まれました。日本に住む私たちにとって、
最小限主義は新しいものでも珍しいものでもありません。
伝統や文化の一部です。」
 


私も、70歳の坂道を転がりだし、月日が飛ぶように過ぎています。
そこで、身辺整理を始めることにしました。
額縁の整理もそうですが、
読み返すことのない書籍類、着ることのない衣類、バッグ類、ネクタイ等々。
あげたら切りがありません。
引出しの中、物置の中、本箱の中、机の中、天袋の中等々、
整理しなければならないところがたくさんあります。
これは一大仕事になります。
捨てる方法も調べなければなりません。
じっくりと腰を据えて、取り掛からないと挫折します。
 

2人の娘たちの仕事にだけはしたくないと思います。