錦眼鏡余話4:No126
完全退職 

昨日の3月31日で完全退職をしました。
引継ぎも終わり、ほっと一息入れています。

もう「目覚し時計」ともお別れです。
もっとも、目覚し時計が鳴る前に起きていましたが。。。(笑)
 
思えば。。。
60歳で1度定年退職し、
国分寺市教育委員会の科学センターで、
再雇用として3年半勤めました。

科学センターで、おもしろい経験をたくさんしました。

科学センターでは、毎週土曜日に
小学5年生と6年生を対象とした科学教室を開く仕事をしました。
主な仕事は、実験道具の準備や消耗品などの買い出し、
資料の作成と印刷、会計、授業をする先生の手配等々です。

時に、実験道具の作成もしました。
思い出に残る実験道具は、
部屋を暗くしたら、その場で壁に虹を写しだす実験道具です。
単なる立方体のダンボール箱でした。
ダンボール箱の一つの壁面にスリットをつけるだけですが、
スリットの幅や取りつける位置が重要でした。
また、簡単に折りたためて、
手軽に持ち運びができるものを作成しました。

他には、
慣性の法則を計る実験装置、水ロケット発射装置などなど。。。
今でも使われているのかなと思っています。

そのあと、4年間、
小笠原村の教育行政(教育委員会)に携わりました。
議会は、どうも好きになれませんでした。
年4回の議会が近づいてくると憂鬱になりました。(笑)

教育委員会には、楽しい仕事もありました。
本来、私の仕事ではないものだと思いましたが、
誰も手掛ける人がいなかったので、自分からやり始めました。

小笠原村教育委員会には、
小笠原に関する貴重な資料がたくさんありました。
その雑多な資料を閲覧するためのデーターベース化に
取りかかりました。
それも、2通りで検索できる方法をつくりました。
パソコンから探す方法と
パソコンのできない人のために
紙を括って探す方法の2通りを作成しました。
2通りとも、資料がどこの棚や保管庫にあるか
分るようになっています。
このことは、
資料や本を使った人が元の場所へ戻すことが前提条件です。

紙ベースは、
棚や保管庫別に、中に収納されている資料や本などの
タイトルと著者名と簡単な内容をファイル別にしました。

もう一つ、楽しかったのは村の文化財指定でした。
副村長の石田さんに勧められて始めたのですが、
やっているうちに段々楽しくなりました。
お陰さまで、4年間の集大成のような仕事になりました。

示唆を与えてくれた副村長:石田さんには感謝しています。

時間があれば、あと2つ、指定したいものがありました。
それが出来なかったのが心残りでした。
いつか、誰かがやってくれるものと期待したいです。

小笠原から帰ってきた時点で、完全退職をするつもりでした。

ところが、
友人から幼稚園の仕事を是非やって欲しいと頼まれました。
断りきれずに、私立の幼稚園の園長を引き受けました。

長い教職経験から、幼稚園の子どもに接して感じたことは
子どもが大変素直で、先生の言うことによく従うということです。
遠足などで、「道路の白線内を歩きましょう。」というと
白線内をきちんと歩きます。
「これは触ってはいけません」というと触りません。
小学校や中学校では考えられないことです。

70歳の大台を超えて、気力・体力の衰えを感じてきました。
そろそろ、第一線を退く時だなと感じました。
理事長に申し出ると、もう少しやって欲しいとのことでした。
就任してから2年なので、それは当たり前だと思いました。
自分で後任を探して、理事長に紹介しないと
おいそれと辞められないな感じました。

幸い、やってくれる人が見つかりました。

後任の園長が、幼稚園の
ホームページ作りなどがスムーズにできるまで、
4月になっても、時どき幼稚園へ通い一緒にやるつもりでいます。