錦眼鏡余話3:No87
テニス再開 
 
しばらく休会していたテニスレッスンを再開して、
約1か月半が経ちました。

メール通信:2−83の「
寄る年波?」で紹介した
肩の違和感が
 
4月下旬から、とれずに続いています。
切ない痛みがなくなった代わりに痺れが続いています。

ところが、不思議なものです。
テニスレッスンでサーブをしたり、スマッシュ練習をしても
左肩は何でもありません。
どうも、70肩(40肩)系統(?)ではないようです。
私は左利きだから、左腕をふるってサーブやスマッシュをします。
70肩(40肩)系統なら、サーブだのスマッシュだのは
とても出来ません。
 

何故なら。。。
40肩になった若い頃の経験を思い出すと、
肩の切ない痛みで、腕は自動車のハンドルの高さにも
持ち上げることは出来ませんでした。
車の運転を妻にしてもらったことがあるからです。
サーブやスマッシュが自由にできるということは、
今回の肩の故障は、違う原因のようです。
もしかすると
若い頃、
柔道で痛めた頸椎が今頃に
なってガタついてきたのかもしれません。

そんな訳で、再開したテニスレッスンも休まず通っています。

今までと違って、自分の体力の衰えを感じています。
最初の準備運動が一番きつく感じます。
そこは年寄りの狡さで、適当に手を抜いてやっています。

主に、移動をしながら行う準備体操です。
本当はコートのエンドラインからネットまで
ツーステップで行って戻ってこなければならないところを
ネットの2メートルくらい手前で折り返しています。
また、
腿をあげて前進しながら、腿の下で両手を打つなんて
ことは、数回やると息が切れてしまいます。
そこで、エンドラインの前からスタートをきって、
ネット2メートル前で折り返し、エンドライン手まで終わります。
ボールを使った練習に体力を温存しようと思うからです。

ところで、
12月にテニスレッスンを休会したときの
クラスは初中級でした。
今回、同じ時間帯の初中級に戻ったら、
その当時、初中級で一緒にやっていたメンバーは、
一人しかいませんでした。
その人に、
「一緒にやっていた人達はどうしたのですか?」
とたずねると、
「皆さん、中級へ進級してやっていますよ。」
と返ってきました。

私は何となく取り残された気持ちになりました。
一緒にやっていた人達より、
自分は技術も経験も上だと思っていたからです。

思い切ってクラスを変えようかと迷いましたが、
それを思いとどまりました。
思いとどまった理由が2つほどあります。

 
一つ目は、自分はもう「頑張る歳ではない」ということ。
最初の準備体操すら、手を抜きやっている自分を自覚しています。
しかし、
健康維持と体力維持を目的に
レッスンを受けているつもりです。

休会明けの最初のレッスンで、
同じレッスンを受ける人に、それとなく受講者の数を聞くと
私を入れて3人だということです。
弱ったなあ、これでは、ろくろく休むこともできないぞと思いました。
レッスン中、受講者の人数が少ないと、
すぐに順番が回ってきます。
そんなとき、ハーハーゼーゼー云いながら
水補給タイムが来ると、ホッと一息入れている自分を認めています。

二つ目の理由は、
同じ初中級に、ひとりの40代前半の男性がいることです。
仕事の都合で、隔月ごと日曜日に受講しているようです。
あとの日曜日は振替で土曜日あたりに受講しているのでしょうか。
この男性が、いたく私のレッスン参加を喜んでくれたことです。

男性の力量は、多分初中級を越えています。
フォアとバックのストロークの安定感は、かなりのもです。
サーブの威力を増せば、私以上の力を持っていることは確実です。
私が参加する以前は、たった2人でやっていたのです。
活気がなかったこでしょう。

私はどちらかというと「口でプレーするタイプ」です。
一緒に組んだ仲間や相手のチームの良いプレイを見ると、
「ナイスプレイ!」だとか、拍手をしたりと賑やかにプレーをするタイプです。

6月に入ったら、初中級に若い女性が入りました。
この若い女性は、思い切りのいいプレーをします。
これで、このレッスン受講者は、4人なりました。
コーチが参加すると、練習中、ひとり休めるようになりました。
振替え者がいると、
もっとゆとりを持ってテニスができるようになりました。

これから暑くなります。
着替えを1〜2枚持っていく必要があります。
それほど、汗をかきます。

6月になって、ラケットを1本買いました。
気合いを入れて、練習に励むようにと。