1985年私浅野嘉之は大阪府池田市に25歳で
自家焙煎珈琲店“珈琲倶樂部”をOpen。
10坪でカウンター4席ボックス12席ほどの小さなお店。
家内と2人のパパママShop
フジローヤルの3Kg釜でのスタート真っ白な内装の中で
元気いっぱいの日々
焙煎の基本をこの頃、身に付けることができた |
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いずれはパティスリーを併設したCafeをと考えていた。
8年がすぎた1993年念願のShop
“カフェ・パティスリー会庵”を池田市の山手にOpen。
フランス菓子それもとりわけこだわったのはアシェットデセールだった。
店名を“珈琲倶楽部”から“会庵”に変更したのはパティスリー部門が
加わったためで“珈琲倶楽部”には今も格別なおもいがある。 |
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“会庵”をOpenして5年がたった頃のこと今度はレストランを
組み込めないかと思い始めた。
珈琲をより深く知ろうと思うと(食文化)に触れないとだめな気がした。
思い切って大改装 ついに
“カフェ・パティスリー・ビストロ会庵”としてスタートした。
“会庵”は“東畑店”と“鉢塚店”の2店舗になっていた。 |
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2007年長らく営業していた大阪を後にし東京へ向かった。
短期間の資本投下に経営が圧迫されていた.。
東京の友人が「では東京でやってみましょうよ」と、
ありがたいお誘いである。
大阪の“会庵”を退店し東京・神田・小川町
“ダイニング・グラッパ・カフェ会庵”の
誕生となった。東京ど真ん中、興奮した。 |
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順調に進んでいた“東京・会庵”だが突然とんでもない事態となった。
リーマンショックである。本社が建築であったため、
そのあおりをまともに受けることとなった。
友人は“東京・会庵”を残すため大変尽力したが、
本社を残すのがやっとだった。
非常に残念ではあったけれど“東京・会庵”があって今がある、
友人には大変感謝している。 |
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いろんなことを経験してもう一度珈琲にどっぷり
つかる人生のチャンスを得た。
宝塚・逆瀬川。
店名を母の営んでいた“サン美容室”からもらった
“讃喫茶室”
フジローヤル3Kg釜での自家焙煎珈琲店
50歳になって思う“珈琲は素晴らしい” 感謝 |
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